魔女の条件

そぉっとそぉっと、破らないようにパッケージのシールを剥がして、真空パックされた袋にゆっくりと鋏を入れて、
慎重に封を切る。封が開いたとたん、弾ける様に零れ出たオレンジとチョコレートの華やかで力強い香りと、
それに伴奏を付ける様に、馥郁としたアッサムリーフの香りが一面に広がる。それぞれ趣の違う
三種類の香りのハーモニーを胸いっぱいに吸い込んで、 はうっとりと虚空を見つめた。

「‥‥‥いいにおぉ〜い‥‥」

しばらく陶然と香りを楽しむと、今度は傍らのティーキャニスターに封を切った中身を移す。
次に蓋をしたキャニスターをまるでカクテルシェイカーのように上下に幾度かシェイクした。

「これで十分混ざったかな?」

嬉しそうに言うと、今度はミルクパンと計量カップ、ティースプーンを取り出す。
ミルクパンにシェイクしたキャニスターの紅茶葉をティースプーンですくって三匙入れる。
すくった紅茶葉には、オレンジピールと黄色い花びら、きらきら光る銀色のアラザンが混ざって、香り同様、見た目も華やかだ。

「えっと、水は‥‥400cc」

パッケージを見ながら、計量カップできっちりと水をはかって鍋に入れ、火にかけた。

「これで、ひと煮立ちするまで待つ、っと。え〜とカップとミルク出さなきゃ♪」

鼻歌まじりで、戸棚を開け、カップを吟味している の背後から、今漂っている甘い香りと同様に甘い、聞き慣れたテナーが響いた。

「なにしてるの魔女さん?楽しそうだね」
「あ、蔵馬。今ね、チャイを入れてるの」

歌うような節を付けて は言うと、戸棚から、白い陶器のティーカップともマグカップとも取れるぽってりした大ぶりのカップを取り出した。

「チャイ?」
「そう。オレンジショコラチャイ。いい匂いするでしょ?」

今度はスキップするような足取りで冷蔵庫を開けると牛乳パックを取り出す。

「ところで蔵馬。どうしてまた、『魔女さん』なんて言うの?」

計量カップのメモリとにらめっこでミルクを注ぎながら、 は普段余り聞き慣れない呼び名で自分を呼んだ蔵馬に問いかけた。

「そうやって、真剣な顔で計量カップや鍋とにらめっこしてるとさ、何だか魔女が薬を煎じてるみたいだなって思って。
後、昔、西洋の方では、精霊使い(君みたいな能力持ち)は『魔法使い(ウィッカ)』とか『魔女(ウィッチ)』とか言われたりもしてたでしょ?」
「へ?‥‥ああ、そう言うこと?そうだね。何割かは当たり。精霊使い(私たち)と『魔女(ウィッカ)』には、似たところも結構多いし」

蔵馬の返答に、一瞬怪訝そうな顔をした だったが、
続けられた言葉を聴いて納得した様に頷くと少量の砂糖と一緒に、
先ほど量ったミルクを鍋に加える。

「それは、『魔女』と『精霊使い』は根っこが一つってこと?」
「う〜ん。どーだろ。その当たりの事、私は良く分かんない。
もしかしたら、どっちかがどっちかに接木されてる程度の繋がりはあるのかなとは思うけど」

あまり断定的な口調ではなかったが、 は蔵馬の疑問に答えを返す。

「だけど、やっぱり『魔女』と『精霊使い』は似て否なるものですよ。詳しく話すとキリが無いからやめとくけどね」
「そう言うものなんだ」
「そう言うものなんです。貴方だって人を化かす動物だから、狸と狐はおんなじだって言われると、それは違うって言うでしょ?」
「確かに。一緒にされちゃかなわないよ」

おどけた様に肩をすくめると、先にリビングで待ってるねと言い残して蔵馬はキッチンを後にした。



「おまたせしました♪熱いから気を付けて」

笑顔と一緒にキッチンからチャイのカップがデリバリーされてきた。
の手渡してくるカップを受け取って一口。

キッチンにいる時に、部屋いっぱいに広がっていたオレンジとチョコレートの香りと風味が、今度は蔵馬の口の中から鼻に抜ける。
舌の上に広がるのは、どっしりとしてまろやかなコクのある味と、ほんのりとした甘み。

そう、まるでココアのような。でも、よくよく味わうと、やっぱり『紅茶』の味。

「‥‥不思議な味だね。何だか、紅茶じゃないみたい」

「でしょ?紅茶じゃ無いみたい、なんだけど、でも、よくよく味わうと、やっぱり紅茶なんだよね。コクがあってすっごく美味しいの」
飲んだら凄く美味しかったから、買い溜めしようと思ったらもう無いし。
人気あるからすぐ売り切れちゃうんだよね、と は言うと、自分もカップの中身を飲んで目を細めた。
それにつられて、蔵馬もカップを口に運ぶ。紅茶じゃ無い様で紅茶な、『不思議な味』がまた口の中に広がる。
複雑で重層的で、一見『正体不明』な味なのに、暖かくて、なんだかほっとする、
不思議な不思議な『紅茶』とは思えない、何か別の違った飲み物のよう。

「あのね蔵馬。さっきの話の続きだけどさ」

舌を火傷しないよう、慎重に熱々のチャイをすすりながら は話しかける。

「私自身限定になるけど、厳密に分類するなら、『精霊使い』は『魔女』に分類はされないと思うな」
「なんで?」
「ん〜。私、『魔女的思想(ウィッチイズム)』が全ての行動の規範じゃ無いから。
共感してるところはそれなりにあるけれど。まあ、ぶっちゃけ『普通の人』の目から見たら、
『精霊使い』も『魔女』もどっちもおんなじだろうから、『普通の人』からすると、私も『魔女』でしょうね」

世が世なら、火炙りにされちゃうかも、付け加えて はくすくす笑う。

「ふぅん。その観点で行くと、オレも危ないなあ。君が魔女なのと同じで、オレも『化け物』だしねえ」

石投げられる位ならいいけど、下手すると、君と一緒に火炙りにされちゃうな。そう言って、蔵馬も笑った。

「魔女にたぶらかされて魂を売った僕あつかいで?それとも使い魔の狐だって言われて?貴方はどっちがお好み?」
「う〜ん。どっちも捨て難いけど、強いて言えば、元々狐だから使い魔かなあ。
魔女の色香にたぶらかされたって言うのも、それはそれで間違いない事実だけどね」
「なにそれ〜。そんなコトしてませんってば」
「してるって。君には自覚が無いようだけど。おかげで毎日毎晩君の姿が頭から離れません」
「迫害されて、二人で火炙りになったら、それこそ、火刑台で炎に包まれた瞬間、箒に乗って二人で逃げちゃおうよ。
その時は、貴方は狐に戻ってね」
「何でオレは狐に戻るの?」

少々呆れ気味の口調で蔵馬はたずねた。

「狐に戻ったら、生きた襟巻きにして首にまくの。その方がより魔女っぽいでしょ。
別に箒無くたって飛べるけどさ、どうせ逃げるなら、ギャラリーの期待に沿うように、
ステレオタイプな魔女っぽいカンジで逃げようかなって」
「ふーん。襟巻きって、こんな風に?」

こんな風に?と言う言葉と一緒に、蔵馬は の背後から首に手を回して彼女を抱き寄せた。
不意打ちに、小さな驚きの声が上がる。

「‥‥もう。びっくりした。お茶がこぼれるって。でも、襟巻きにするには、ちょっと規格サイズから逸脱し過ぎてますよ。今の貴方は」
「なんだ。喜ぶかと思ったのに」
「嬉しいけど『襟巻き』として見せびらかすなら、狐の姿の方がいいですねぇ。
シルバーフォックスは上等の毛皮だもの。本物なら、ラビットファーとかとはゼロの数が違う♪」
「それって、何だか、オレは人間の姿でいるより、狐でいた方が価値が高い様に聞こえるんだけど‥‥」

どこかいじけ気味の拗ねた口調で言って、蔵馬は を抱き締める腕に力を込める。

「ああんもう、違うって。いじけないでよぉ。今のは一般論ですって『襟巻き』の。『貴方自身』の価値だと誰が言いましたか」

焦りが一掴みほど加わった口調で は蔵馬を宥めに入る。

「『貴方自身』に関してなら、価値は『プライスレス』ですって。鑑定不能です。
カードのCMじゃないけど、『お金で買えない価値がある』だってば」
「そうなの?」
「そうよ。それに、他人に見せびらかすなら、人間(こっち)の貴方の方がいい」

は自分を抱き閉める蔵馬の腕に首をもたれさせて身体を預ける。

「だって、貴方が生きた襟巻きになるなんて、私達みたいな『普通じゃない』人間が無事に暮らせる状況じゃないって事じゃない。
だから、私はこのまま平穏に暮らせる今みたいな方がいいな」
「‥‥ の言う通り、オレもこのままがいいかな。何にも無いのはいい事だし」

関係ない家族まで厄介ごとに巻き込まれるのは、もう沢山だ、ポツリと蔵馬は呟いた。

「‥‥ああ、そうだ。思い出した。『魔女』の『能力』や『魔法』は『守りたい』って言う気持ちから出来たんだって」

蔵馬の呟きに答えるかのように、 は言葉を紡ぎ始めた。

「大切な『誰か』や『何か』を守りたいって言う『気持ち』。だから、魔女の『魔法』は『白魔術』なの。
何かを奪ったり傷つけたりするために生まれたものなんじゃないから」
「‥‥『魔女』って言葉のイメージからすると『黒魔術』な気がするけどね」
「それは世間の大いなる誤解です。『本物』の魔女が聞いたら、きっと怒るわよ」

少し気取った教師っぽい口調ですまして答える。
「そうだね。確かに、お話の中にも、『いい魔女』って言うのがいるし。君の話だと、『いい』なんて付けるほうが失礼な気もするけど」
「確かに失礼かも知れないわね。だけど、今言った様なそう言うくくりだと、私も同じかも。
『精霊使い』の能力(ちから)は生まれつきだけど、私は、この能力は『壊す力』じゃなくて『守る力』だと思ってるし」

そう言うと、 は自分の両の手をじっと見つめた。

「‥‥ の『守りたいもの』って、何?」

穏やかな声で蔵馬は訊いた。

「えーとねぇ、家族とか、友達とか、お気に入りのお店とか‥‥
沢山あるから、困っちゃうな。ありすぎて全部言ってたら、夜が明けそう」

くすくす笑いながらかえって来る返事。

「じゃあ、全部でなくていいから、幾つか教えて」
「貴方」
「エ?」

「私の『守りたいもの』は貴方」

背後から、包み込むように自分を抱きしめている蔵馬の首に手を回して、抱きしめ返す。

「‥‥オレ?」

「そう。貴方。貴方を守りたい。そう思ったから、修行が辛くても死にそうになっても頑張れた。
壁があっても、破る事が出来た。守りたい人がいるから、貴方がいるから、私は、強くなってきたの」

静かで穏やかで、だからこそ強い意思を秘めた の声。

「‥‥ありがとう。嬉しいよ。でも、オレだって、四六始終君に守られる程、弱い訳じゃないけど」
「知ってます。その位。だけど、貴方の敵はいつも正面からだけ襲ってくるお馬鹿さんだけじゃないでしょ?」

背中からの分位は、私が担当してあげます、そう言って は笑った。

「それはありがたいね。目の前だけに集中できるのはいい事だ。でも、君自身の背中はどうするの?」
「どうするって‥‥だって、私の背中は蔵馬が守ってくれるでしょう?だから大丈夫。信頼してますよぉ」

の返答に、蔵馬の笑いを含んだ声が言葉を失ったかのように止まる。
だが、次の瞬間、朗らかで弾ける様な笑いが上がった。

「‥‥君は、やっぱり魔女だよ。強くて、賢くて、暖かくて、でも、怒るとちょっと怖い‥‥立派な魔女だ」
「最後の、怖いって言うのが引っかかるな〜。そんなに私、怖い?」
「怖いよ。オレ、母さんにもめったに叱られないのにさ。君位だよ。オレをよく怒るのって」

どこかしら拗ねた口調で首をすくめる。

「よくって…そんなに貴方の事怒ったりしてるっけ?」

自分では自覚が無いのだろう、首をかしげる

「してるよ。無茶ばかりしてるとか、働き過ぎだとか、怪我ばかりだとか、ちゃんと寝とけとか食事はきちんと取れとかさ」
「だって、それは、貴方が悪い。事実なんだもん。幾ら人間じゃなくたって、自分の能力と丈夫さを過信しすぎです。
回りもそう思ってるから余計タチが悪い。だーれも言わないんだもん」

不服そうな顔を隠せない

「お母様は別として、私以外に他に貴方にそーゆー事言う人、いないじゃない」
「そうだねえ。だから有難いと思ってるけど。オレが自分の能力を過信して思いあがってる時、
君は的確にその鼻っ柱を叩き折ってくれるからね」
「蔵馬‥‥それ、褒めてるの?」
「勿論。立派な褒め言葉ですが何か?」

いぶかしげな声で尋ねてくる彼女に、すました声と口調で言ってやる。

「なんか、褒めてるように聞こえな〜い」
「褒めてるよ。君のそう言う所が美点だって言ってくれる男が、オレ以外誰がいるの?」

のそう言う所を、怖がったり嫌がったりしてる男なら、山のように心当たりがあるけどねえと付け加えて、蔵馬は笑った。

「それに、慈愛と寛容が美徳の甘い砂糖菓子だけを美味しいと思う時期はとっくに過ぎてるしね」

蔵馬はカップに残ったオレンジショコラチャイをまた一口飲んだ。

「そりゃ、今でも砂糖菓子は美味しいと思うし嫌いじゃないよ。でもね、暖かくてほっとするけど、
正体不明で複雑な味のする、このお茶みたいな方が、オレはずっと美味しいと思うし、好きだな」

だから、オレは、こんなに立派で可愛い魔女のとりこになれて、ラッキーだと思ってるよ、
そう続けると、蔵馬は に回した腕に力を込めた。

「立派な魔女、ねえ‥‥」
「『可愛い』が抜けてるよ。そこも肝腎な所だから」
「そんなに大事?」
「オレにとってはね。他の人の事は知らないけど」